どうしても理解できないフィリピン文化 3選
どうも皆さん、こんにちは!今日は「どうしても理解できないフィリピン文化3選」についてお話ししていきたいと思います。私が実際にフィリピンで経験した中で、どうしても理解できない文化についてまとめてみました。ゆっくり見ていってください。よろしくお願いします。
1. 子供はイノセント
まず最初に、子供はイノセントということでございまして、僕ねフィリピンの文化でこれ本当に理解できないです。
子供だからしょうがないね、日本でもよくあるじゃないですか。子供だからこれしょうがないでしょって。
確かに子供だからしょうがない部分はあるにはありますが、日本以上に「子供はしょうがない」という文化がでかいですね。
例えばテーブルの上に乗ってね、なんかバタンバタンバタンってしても「うん、子供はしょうがないね」みたいな。いやいやいや、周りに迷惑かかるしみたいな。で人がめちゃくちゃ多いとこで子供がバタバタバタバタ走り回ってるじゃないですか。それは日本だったら「ダメダメダメ」みたいな「大人しくしなさい」みたいな、それ普通ですよね。でフィリピンは「イノセント」みたいな。あほかみたいなね、ぶっちゃけ思います。
VOKUの主張: そういう風に甘やかすから、ちゃんと悪いことを悪いと教えないから、その結果が今のフィリピンの状況につながっているのではないか。
ちゃんと教えないと「これはダメね」「これはリスペクトがない」「こういうのは人がいる時はやっちゃいけない」、色々あるじゃないですか、普通の常識ですよね。それを教えないから、今日もちょっと見ちゃったんです。テーブルの上で子供がぴょんぴょん跳ねてるんですよ。「うわ、最悪」と思ったんですけど、大人たちが「うーん」みたいな。「ああ、アホなんだ、じゃあこの子もアホに育つな」みたいな。めっちゃ見てました僕は。
本当に子供好き勝手にさせることが愛情ではないと思うんですよ。ちゃんと育てないと、ちゃんと教えないと。ダメなことはダメ、いいことはいい。怒る、叱る、褒める、これをちゃんと使い分けないとちゃんとした子に育たないじゃないですか。日本人はそうやって育ってるから、IQもやっぱ世界的に高いわけですよ。
フィリピンの「イノセントイノセント」という考えが、結果的に社会全体に影響しているのでは、と感じています。
なので子供別にイノセントではない。イノセントはイノセントですよ。ただ犬猫に比べて、どっちがイノセントかって言ったら犬猫の方がイノセントじゃないですか。子供でもドス黒いのがいますよ、心の。
我々だって子供の時代あったじゃないですか。でみんな子供の時代があったはずなのに、そのどす黒い心を持ってる時代を忘れたのかと。我々小学生低学年の時でもちょっと黒い心を持ってたじゃないですか。
「これは秘密にしとこう」とか「これは言わないでおこう」みたいな。悪いことしたけど「これは言わないでおこう」だって怒られるもん、とか「これはバレなきゃいいか」みたいな。
イノセントじゃないんですよ、別に。
言わないと、悪いことはちゃんと怒んないとダメなのに、それを怒んないから、だからそのまま育つんだよと。すごい言いたいです、本当。これは理解できないです僕は。
2. 譲り合い基本なし
続けてこちらでございます。譲り合い基本なしということで。日本では皆さんちゃんとわかってると思うんです。ギブアンドテイクですよね、譲り合い。これ交通面でもないし、歩いてる時もないし。向こうから来て避けるのはこっちみたいな。
日本人は譲り合いの精神、これすっごい当たり前じゃないですか。本当にごくごく普通のことです。譲り合いが普通だから譲り合っても別にストレス感じないし。でフィリピンで譲り合い本当ないんですよ。譲ったらこっちがなんか弱いみたいに思うみたいですね。要するにプライドです。
本当にくだらないプライド。別にこっちそんな思わないじゃないですか。歩いてて向こうが避けました、何も思わないです。「あ、こっちもちょっと避けるか」みたいな、普通ですよね。ずかずか歩いて、向こうがね、僕らの目的地ちょっと近いから、こっちが避ける。あんま考えないから説明難しいな。
譲り合い普通じゃないですか、ぶっちゃけ。本当に譲り合いしないですよ。だからぶつかる、すごいぶつかるし。あともう割れ先に行くし。ちょっとマナー悪いっす、ぶっちゃけ言うと。
譲り合いがないのは特に交通面、トラフィックルールですよね。ちゃんとルールあるはずなのにみんな無視。ウインカー出さないし、とりあえず信号が赤で止まってる状態なのに…
「プープー」みたいな。「アホなん?」みたいな。いやいやいや、普通に考えたら分かるでしょ。進まないってことは何かあるんだよ。
だってこっちだって進むために道路に出てるんですからね。別に止まるために車とかバイク出してるわけじゃないじゃないですか。進むために車とかバイク出してるんで。別に止まってるのはそれなりの理由があるのに、なんでプープープープー鳴らすの?「アホなん?」みたいな。「大丈夫?脳みそ?」って。
これも子供の頃からの教育、「悪いことは悪い」と教えられてこなかった結果、譲り合いのない社会になっているのではないか、と考えています。
でもフィリピン人に行くと「いや、譲り合いあるよ」って言うんですけども、いやないです。8年間住んでますけどないです、全然。もちろんある子もいますよ。「私はいいよ、大丈夫、あなたが先」ってのがありますよ。それは知り合いだから、彼女だからとか、親友だからとか、友達だからとか。だからそういうのはあります。知らない人に対して譲らないです、フィリピンは。
日本人はしますよ、譲り合い。プーププープ鳴らさないですよ。よっぽど邪魔だったらやりますけども。
結論: フィリピンでは(特に知らない人に対しては)譲り合いの精神は基本的に見られない、と断言します。
3. 何もしないけどチップ
最後こちらでございます。何もしないけどチップということで。これは本当にごく一部のお店ですよね。例えばそういうお店のシステムというか、お店に入っただけとか座ってるだけとか、あるいはクリスマスになっただけ、ニューイヤーがちょっと過ぎただけ。本当にチップを渡さなくてもいいと、別に何もしてもらってないのに、チップみたいな。
「チップいいでしょ?メリークリスマスだからチップ」みたいな。
チップってそもそも何かをしてくれたことに対してのありがとうの気持ちがチップなわけじゃないですか。要するに、フィリピン人も言いますけども、気持ちなんですよ、チップって。何にもされてない、気持ちゼロの状態でチップは?みたいな。
いや別に気持ちでしょ、チップは。別に気持ちもらってないし、そもそももらってないのに、なんでチップ?みたいな。理解ができないす、そこは。で僕が一番理解できないの、「クリスマスだからチップ」であとは「ニューイヤーだからチップ」「ハッピーハロウィン」みたいな。いやいやいや、何もしてないでしょう?
本来チップは「気持ち」。何かをしてもらった感謝のしるしのはず。それに見合う行動がないのに要求されるのは理解不能です。
(もちろん、良いサービスを受ければ、相場以上にチップを渡すこともあります。)
「相場上げるな」とかていう人いますけども、気持ちだから僕はそれに値することしたらあげます、チップは。でそれに値することしないじゃないですか。「ハッピーハロウィン」で「クリスマスは」みたいな。
「なんかしたお前?」みたいな。てか「お前誰?」みたいな感じになるじゃないですか。
特に一部のお店で見られるこの習慣は、フィリピン文化の中でも特に理解に苦しむ点です。