「今はフィリピンこないほうがいい」←これが大いに間違ってるって話
事件のニュースが流れると、街全体が突然真っ黒な布に覆われたように見えてしまうものです。フィリピン夜のラジオのVOKUです。9年間この国に住み続けた僕から言わせていただければ、「今はフィリピンに来ないほうがいい」という言葉は、恐怖だけを切り出して街の本当の姿をぼかしてしまう、極めて一方的な物言いです。今回は、その発言が大いに間違っている理由を、僕の実感を軸に3つの角度からお話ししていきます。
① フィリピンは、今はじめて危なくなったわけではありません
まず先にお伝えしたいのは、フィリピンは今になって急に危険になった国ではない、ということです。9年住んできた僕の感覚で言わせていただくと、この国が「完全に安全だった時期」というのは、正直に言って一度もありませんでした。マラテで起きたヒットマン事件で日本人の方がお二人亡くなられたと聞いたときは、僕自身も胸が締め付けられるような思いがしました。けれど、その一件を理由に「だから今は来るな」と結論づけてしまうのは、この国の本当の姿を少しだけ見誤っているように思えるのです。大統領が変わってから治安が荒くなった実感はたしかにあります。しかしクリスマスや年末年始に空気がざらつくのは昔からのことで、危うさは今回の事件ではじめて芽生えたわけではないのです。BGCのように整った街でさえ、深夜に無防備に歩けば被害に遭うことは十分にありえます。むしろ事件のあと、街には警察の姿がこれまで見たこともないほど増えました。僕の中では「今だけ危ない」のではなく「いつでも危なかった」という感覚のほうが、ずっと近いのです。
② 「来ないほうがいい」という言葉は、再生数を運びやすい言葉でもあります
次にお話ししたいのは、危険そのものより、その語られ方のほうです。SNSやYouTubeでは、「今はフィリピンに来ないほうがいい」という強い言葉ほど、不思議なほどよく伸びてしまいます。電球さんの動画を見ていて僕が感じたのは、正しい正しくない以前に、あれは再生数を取りに行く設計になっているということでした。正直に言えば、YouTuberとしては非常に上手なのです。そこは僕も認めます。ただ、恐怖というものは輪郭がくっきりしているぶん、人の心に入り込むのが異常に早く、一度入ってしまえば街全体を真っ黒な布で覆ってしまうほどの力を持っています。ヒットマンが動く背景には、たいてい深い恨みや、お金の問題や、ビジネス上の対立があります。そこまで含めて見なければ、「道を歩いていただけで撃たれる国」という、現実とは違う輪郭ができあがってしまうのでしょう。信じるのが悪いのではなく、恐怖をそのまま現実の総量だと思い込んでしまうことのほうが、僕にはずっと危ういことのように思えるのです。
③ 来るのなら、「守り方」までセットで考えてほしいのです
最後にお伝えしたいのは、来るか来ないかという抽象論ではなく、「どう歩くか」という現実の話です。僕自身、この9年間で銃を突きつけられたこともありますし、モールで財布を広げて数えていたところを狙われてひったくりに遭ったこともあります。ただ、振り返ってみるとそれらの被害はすべて、「油断した瞬間」か「危ない場所に足を踏み入れた瞬間」に起きているのです。ワシントンストリートの裏を歩いていた夜、モールで札を数えていた無防備な数十秒。危険は、街そのものから湧いてくるというよりも、こちらの隙に吸い寄せられるように降りてきます。だから僕がお伝えしたい処方箋はとても地味で、ドア・ツー・ドアで移動すること、人の多い場所を選ぶこと、夜の路地を何となく歩かないこと、それだけです。派手な攻略法ではありませんが、夜の街では、その地味さがそのまま帰り道の明るさになるのです。普通に暮らして普通に旅行している人が、いきなりヒットマンに狙われることはまずありません。「普通にしていれば、そうそう狙われることはないのです」という言葉は、強がりではなく、僕自身の9年間から削り出された、ささやかで実務的な結論でした。
僕が本当に伝えたかったこと:恐怖の色だけで街を塗りつぶさないでください
今回の3つのお話を通じて、僕が否定したかったのは「危険」ではなく、「危険の単純化」のほうでした。街の体温は、事件の見出しだけでは測れないのです。
- ① 危ないのは「今」だけではありません:マラテもBGCも、危うさは昔から地続きのものだったのです。
- ② 恐怖は拡散される言葉です:「来ないほうがいい」は、現実の複雑さをそぎ落としてしまう言葉でもあります。
- ③ 来るなら「守り方」まで一緒に:ドア・ツー・ドアと、油断しない歩き方。防御は派手ではなく地味なものです。
恐怖に街の全体像を預けず、前提を知ったうえで歩いていただくこと。その静かな慎重さこそが、この動画で僕が本当にお伝えしたかった核でした。