【KTV嬢が悲鳴】観光客が消滅…日本人2名がやられた事件から1か月、現在のマニラのリアルな状況
フィリピン夜のラジオのVOKUです。あの事件から、気がつけばもう1か月が経ってしまいました。日本人2名が犠牲になったニュースは、この街の時間に小さくない影を落とし、今もその影は完全には消えきっていません。観光客の姿が激減し、KTVの女の子たちが静かに悲鳴を上げているいっぽうで、街そのものの暮らしは、驚くほど普段どおりに続いてもいます。今回は、事件後1か月を経たマニラの風景を、僕が9年間住んできた目線で、できる限り正直に、4つの角度からお伝えしていきます。
① 観光客は、はっきりと消えてしまいました
まず最初にお伝えしておきたいのが、観光客の数が目に見えて減ってしまっているという事実です。日本から到着する飛行機に乗っていた日本人がたった4人だった、という話を知り合いから聞いたときは、さすがに息が止まりました。もちろん便によって多少の差はあるのでしょうが、事件前のマニラ便では考えられなかった数字です。駐在員の方々の中には、会社から「夜は出歩かないように」という指示が出て、夜遊びそのものが禁止されてしまった人も多くいます。つまり、一時的に遊び客の母数が、観光・駐在の両方向から同時にしぼんでしまっているのです。この1か月、マラテの夜の歩道は、以前の半分の明るさしかない——そう言いたくなるほど、人の気配が薄くなりました。
② 女の子たちの悲鳴は、数字よりも静かに広がっています
お客さんが減れば、最初に影響を受けるのは、当然ながらKTVで働く女の子たちです。彼女たちの収入は指名料とドリンクが大きな柱で、お店に出ても誰も入ってこない夜は、文字通り1ペソも稼げずに帰ることになります。家族に仕送りをしている子、幼い子どもを抱えている子、家のローンを背負っている子——その背中を思うと、この状況の重さは数字の話にはおさまらないのです。お客さんの前で明るく振る舞っている女の子ほど、裏では電卓とため息を繰り返している、というのが僕の印象でした。彼女たちの悲鳴は、SNSにも観光統計にも出てきません。お店の控え室の、あの薄暗い廊下の空気の中だけに、静かに溜まっていくのです。
③ 警察の警戒は、過去最高と言っていいほど強くなりました
ただ、ここも公平にお伝えしておかなければいけない点があります。事件をきっかけに、マニラの警察の警戒レベルは、僕が住んできたこの9年で見たことがないほど高くなったのです。マラテ周辺には明らかに警察官の姿が増え、週末の夜には車両も頻繁に見かけるようになりました。皮肉な言い方にはなりますが、抑止力という意味では、事件前よりもむしろ街角に目が光っている状態とも言えるのです。もちろん、警察が増えたから絶対に安全、という話ではありません。けれど、路地裏や深夜3時以降の人気のない道を避けていれば、街の基本的な姿はそれほど変わっていないというのが、9年住んできた僕の正直な感覚でした。恐怖を過小評価するのは危険ですが、過大評価してしまうことも、また別の意味で現実を見えなくしてしまうのです。
④ 僕自身、客商売をしていないからこそ、正直にお話しできるのです
最後に、少しだけ僕自身の立場についてお話しさせてください。僕はお店を構えているわけでも、ツアーを売っているわけでもありません。いわば、この街で客商売をしていない人間です。だから、「来てください」と言うことで僕の生活が助かる、というたぐいの利害を、この動画は一切持っていないのです。そのうえで、自分には220万円の借金もあって、正直に言えば、観光客が戻ってくれたほうが街全体がありがたい、という気持ちももちろんあります。けれど、煽ってまで来てほしいとは思っていません。だからこそ、「来ないほうがいい」と叫ぶ声にも、「大丈夫だよ」と軽々しく言う声にも乗らず、目の前で実際に起きていること、街の空気の温度そのものを、そのままの形でお伝えしておきたいのです。判断するのは、この文章を読んでくださっているあなた自身の役目でしょう。
僕がお伝えしたかったこと:事件の「後」を、色眼鏡なしで見てください
1か月が経ったマニラは、単純に「危険」とも「平常」とも呼べない、まだらな景色の中にあります。4つの角度を並べて、静かに眺めてみてください。
- ① 観光客は明確に減りました:日本便で日本人4人、駐在員の夜遊び禁止。夜の明るさが半分になった実感です。
- ② 女の子たちの悲鳴は静かです:指名が消えた控え室の空気にこそ、この事件の重さが溜まっています。
- ③ 警察の警戒は過去最高:路地裏と深夜を避ければ、街の基本的な姿は変わっていません。
- ④ 僕は客商売ではありません:来てほしい、来ないでほしい、どちらも言いません。ただ事実だけを置いておきます。
恐怖にも安心にも寄りかからず、事実の手触りだけを受け取っていただくこと。それが、1か月後のマニラから、僕がお届けできる唯一のまっすぐな景色でした。